DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る




元々意志の弱い自分はAKB48界隈に通底する体育会系ガンバリズムを輝かしくも思いつつ、「いや、でもそこまでしなくても…」と常々感じている。
もちろんAKBのメンバーはそれぞれの視野の中で頑張っててそこに熱いドラマは生まれるんだろうけど、結局は「箱庭の中のスポ根」という感じがしてあまり好きになれなかった。ここは受け手である自分側の性の問題だと思います。
ちょっと読んだAKBの漫画もそんな印象でした。スポコンとして面白いは面白いんだけどやっぱり何か自己完結して閉じているが故の臭みみたいなものをどうしても感じてしまって…。



そこから生じる女の子達の悲喜こもごもを需要して消費して、その上そこに関して開き直るどころか勝手に合理化してやがる一部ファンの言動は気持ちの良いものではないし、正直引く事が多い。
そんな状況を抱えたAKBが超売れてブランド化してるような状況は僕からしたら気持ちの良いものじゃないわけですよ。


だから、今回の映画もスルーする気だったんですけど、異常に評判が良くて、何か自分の中でAKBに対する印象が変わるかもという期待を持って観た。


…結果的に印象は反転しませんでした。
というか元々AKB界隈に対して持ってた印象の絶対値が強化されて「軽蔑はしないが引く」から「尊敬するがドン引きする」へ変わった形でした。
やっぱね、AKBのメンバーを苦しめて喜んでいる(泣いている)ファン達も、そこをビジネスにして商品にしている運営サイドも、そして、それを期待して観に行ってちゃっかり涙を流す俺も、ド外道にしか見えないんですよ。
ここで映されている事を知らないファンももちろん多いのでしょうが、「知らない」って事はこんなにも残酷なのか…と思いました。
しかも、これ編集等が入っているにせよフィクションじゃないわけだから、悪趣味なんてレベルじゃなくコレを楽しんじゃっていいのか…という罪悪感が絶えず付きまとう。

この罪悪感が逃れられるようなファンの態度って何だ?って考えたけどそれはちょっと見つからなかった。
CD買おうがライブ行こうが握手しようが、どれだけ分かったようなツラをしようが、結局は消費という形でしか彼女達にはコミットできないのだから、この罪悪感や気まずさは飲み下したり勝手に合理化していい類のものではない。
常に迷いや気まずさを抱えるのはアイドルファンとして最低限持ち合わせているべき倫理じゃないかと思った。
そういうリテラシーに関する問いを出発させるという意味でも意義ある映画だったと思う。
(観終わると、AKB好き、嫌い等の受け手個人の立場に関係なく「何か分かった気になってテキトーな事言ってるヤツ」に対して苛立ちをおぼえるような映画なんですよね…)


「なんで彼女達はアイドルやってるんだ…」という問いに対して映画は色々答えを用意しているが、個人的にはある一点を除いてやや説得力不足に感じた。(元々AKB好きじゃない、っていうのが大きいかもしれないが…)
被災地でのライブ云々はいわゆるイイ話の枠をはみ出していないように見えたし、彼女達が直接語る「夢」もやや軽く感じてしまった。


西武ドームでのライブ、特に2日目の映像は圧巻だった。
他の不備や好感が持てない部分はどうでも良いと思えるぐらい圧倒的な、普遍的な力を持っていた。
キツい地獄のライブの中で見せた前田敦子のあの笑顔は上記の問いに対して演出を超えてこちら側の感想や批評の言葉が届かないような、圧倒的な「美しさ」(彼女を追い込んだ末の残酷美なんだけど…)をたたえていたと思う。
あそこは本当に鳥肌が立ったし、忘れ難いものになる気がする…。
(それこそウンコ映画である所の「もしドラ」の評価が少し上がってしまう程に!)


結果的に、自分はAKBのファンにはならないし(前田敦子さんが出る「苦役列車」は傑作であって欲しいと思ったけど)AKB界隈のファンや運営の在り方にはやっぱりドン引きするんだけど、何か普遍的なアイドルの魅力がこの映画には刻まれてると思った。
観てよかったと思う。