おおかみこどもの雨と雪


物凄く面白いし、心奪われる場面も多い。
美術、演出、演技その他全てが高水準でそれらによる豊潤な映画的な快楽に自分は抗いきれない。
語りのテンポは良好、美術や作画、演出に何度もハッとさせられるし、正直最後なんかボロッボロに泣いたし、映画終わって外出たら、親子連れが手繋いで歩いてるのを観て、再び泣いた。
観てる間は非常に面白くて感動的だし、最終的に自分の価値観をちょっと動かした、もう掛け値なしに傑作だとは思う、思うんです。

ただ、一方で作品の出来不出来のレベル以前の距離感を表明する声があり、自分も少しそれらを感じたのも確か。
この作品が好きだからこそ、感じた違和感は言っておくべきだと思う。

序盤、主人公、花が子ども二人を連れて田舎へ越すまで、ここに不満が集中する。

例えば、おおかみおとこに出会う以前の花の孤独は間接的な描写により確かに"押さえて"はいると思うんだけれど、どうにも軽く感じた。
少なくとも、後の花の行動にこちらが寄り添うには軽すぎる。
花の孤独ってその後の子ども(特に雪)のエピソードにも重なる重要な意味合いもあり、というかこの作品の発端そのものなのだから、サラリと流さずもっと強調した方が良かった気がする。
嗅げば匂う程度の描写で済ませてはいけない、冒頭で観る側を脅かすレベルでやっちゃって良かった気がする。

ちょっとこの作品に対する信頼の姿勢が揺らぎかけたのが、育児ノイローゼ気味になっている花の所へ行政職員が尋ねてくる場面。
ここもそこまでの描写の積み重ねがあり、花の視点に寄り添っている自分からすると非常に怖いシーンではある。
しかし、ここで行政職員の顔は写らない。花を責め立てる記号の如き描き方になっている。
これは後の田舎の人々との対比、及び花の精神状態の変化を演出しようという意図があっての事だろうし、なるほど納得しやすい。でも、だからこそ、行政職員の本気で心配してるか、虐待親と誤解して義憤に駆られているような表情を見せても良かったんじゃないだろうか。
(書いてて思ったけど、この映画、結構細かなバランスで成り立ってるから、そこに対して個々人のアリナシは相当分かれるだろうね)

おおかみおとこと花とのやり取りの後に浮かぶ街の情景や、おおかみおとこが死んでゴミのように捨てられる所等、ステキな部分が数多くあるんだけど、最終的にこの作品に対して全面支持の自分ですら、この冒頭で多少のモヤモヤがあったのが事実。

オールタイムベスト級に好きな「時をかける少女」は例外にして(あの作品に関してはどうだっていいんだ、そんな事)
細田監督作品に少し物足りなさを感じる点なのだけれど、どうも理が先走って、作品内外で対峙する現実を無意識下でお行儀の良いサイズに切り刻んでしまってないだろうか。
で、ここが受け取り方の程度によって作り手や作品に対する不信や距離感に繋がっているんではないかな、と思う。

まあ、ただ、これは自分が細田監督作に好感を持つ部分の裏返しでもある。
ひたすらに理不尽や辛い現実を過大に強調する(半ばそんな現実に蹂躙される自分に酔って誇示しているようにすら見える)「ヒミズ」や「リリィシュシュ」が苦手な自分からすると、彼の作品の過酷さに自家中毒せずその上で何か良いものを描き出そうとする姿勢は頼もしいし、正直ホッとする。