桐島、部活やめるってよ

ディティールや構成含め非常に精緻に組み立てられた映画で、ちゃんとこちら側の感情を導き、楽しませてくれるので出来に関しては不満はほぼない。
多分誰が見ても、つまらないって事はないんじゃないだろうか。
それぐらい良く出来てる。作り手が丹精込めて作った力作である事は疑わない。

ただ、後から頭で反芻するとモヤモヤする部分もある。
作品上重要な役割を担う神木隆之介の映画部が「カワイイ奴ら」として描かれてて、ここらへんは俺のリアリティとすれ違う。
彼らの映画や監督の名前が飛び交うやり取りは、全能の象徴である桐島がいなくなった事に右往左往するその他のキャラと対比的に心地良いものとして描かれるのだけれども、この構図自体嘘、控えめに言って作為があるんじゃないだろうか。
自分個人の実感で照らして言えば、彼らのようなオタクが桐島に対して無関心で劣等感を全く抱かないっていうのが正直ピンと来ない。
「俺は気にしてない!」って言っても大体ステイタス主義の価値観に切実なリアリティを感じてしまっているからこその反発であったりする。
彼らのようなタイプの人達が絶対いないとは言わないけど、どうも彼らにプラスマイナス込みでの人間味みたいなものをさほど感じられなかった。
体育で冴えない彼らに軽薄な女が吐く「だっさw」という嘲笑や、教室での居心地の悪さ、部室のショボさ等、確かにリアリティのある「あるある」ではあるが、彼らが被害者にしか見えない作為を意識してしまって、ちょっと乗りにくい。

まあ、ここは勝手に自分がウジウジ違和感を感じてる部分かもしれないという自覚はあるつもりです。
映画部周りでのシーンでは「鉄男」や映画秘宝などのアイテムが多数出てくるが、そこの層に媚売って安っぽい共感に映画を浸してしまう、僕が大嫌いな「モテキ」的な嫌らしさはさほど感じなかった。
それらのアイテムはきちんと配慮も行き届いた形で置かれて、特に「鉄男」の映像はクライマックスにおける撮影シーンで観客を混乱させず、「あ、これは映画の撮影なんだ」とすぐに飲み込ませる緩衝材としての役割も果たしている。
くどいようだけど、良く考え抜かれている部分の方が圧倒的に多い映画なんです。

上記のような違和感も、本作に対する絶賛一辺倒の空気に、「俺もあの映画の神木君みたいな感じで…」と弱者の名札を自分に貼る事で強者であろうとするセコさ(僕自身「自称ボンクラ」や「自称サブカル」みたいに安易に自分に名札を貼るような手合いが大嫌いなのもあるけど、これは作品のメッセージに逆行してるんじゃないかとさえ思う)や、首を傾げる高校生世代に対して「いずれ分かるよ」とそっぽ向いて、「自分は分かってる」アピールや馴れ合いに熱中する息苦しさを感じてしまってモヤモヤし始めたのがきっかけ。

だから、ソフトが出る頃には雑音も止んでるだろうし、その頃にもう一回観たら誤解かどうかは分かるかもしれない。
そもそも、初見時、クライマックスでグッと来た事自体は事実としてあったしね。

周りに引っ張られて、冷静に自分の評価が出せてない状態で、そういう意味では評価保留の映画かな…。