トゥルー・グリット(ネタバレ)







監督:コーエン兄弟(ジョエル&イーサン=コーエン)

ストーリー:父親を殺された14歳の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)は、真の勇気を持つといわれる保安官のコグバーン(ジェフ・ブリッジス)に犯人の追跡を依頼。テキサス・レンジャーのラビーフマット・デイモン)も加わり、かたきのチェイニー(ジョシュ・ブローリン)を追うこととなる。




僕、今作と同じコーエン兄弟監督で、ジェフ・ブリッジス主演のコメディ映画「ビッグリボウスキ」が大好きなんですよ

全編に渡ってダメな奴だけが出てくる映画で

そのダメっぷりに爆笑したり、落胆したり、呆気に取られたりもするんですが、

最終的にその映画全体を貫いている「ダメさ」が自分への、更には人間への、更には世界への爽やかな肯定感へ昇華させる凄まじい映画で、ジェフ・ブリッジス演じるこの映画の主人公デュードはタイラーダーデンやジョーカーを押さえてマイベストキャラクターなんです


で、この映画「トゥルーグリット」ですが

結論から言うと

ジェフ・ブリッジスが飲んだくれてる映画にハズれはないんじゃないか…!?

(例:ビッグリボウスキ、クレイジー・ハート

と思えるような映画でした


正直一回見ただけで全てを味わい尽くせた気はしてないんですが

僕がこの映画で感じた魅力の部分を箇条書きで書いてみようと思います


・美しい絵の数々

オープニングの列車が画面から退かされるとワッと西部の街が開ける所なんかも小便ちびりそうになるし、終盤の幻想的な絵の綺麗さにもうウットリするわけです。ちなみに、幻想的に見せている事は必然性があると思われるのですがこれは後述します。


・マティ萌え

この子、かなり肝の座った子で

大人相手にも怯まずに立ち向かうし

川を渡る所に象徴されるような復讐のための執念が凄まじい

かと思えば

オグバーン達の喧嘩をなだめようと子供っぽい提案をする所や

父の帽子を被ろうとするもブカブカ(予告編でもありますね)のあたりが

萌えるわけです

確信したけど、「ガイジンに萌えは理解できない」

っていうのは大嘘ですよ

絶対あいつら意図してこれをやってるもの

少なくともコーエン兄弟は萌えを分かっている


・ラストの展開

「なんで復讐の余韻をさっさと切り上げちゃうかな?アガらないんだけどー!」

と思ったのですが

「もしかしたらここはテーマ的な意味が象徴されているのでは…」と思いました

(※以下の感想はこじつけの可能性もあります)

(※ここでいう「神」は「善」に近い意味合いです)

おそらく「父(≒キリスト教的な神)の喪失」がテーマとしてあって

話の発端もマティの父が死ぬ所から始まるじゃないですか

それで、彼女は「トーチャンの仇とったる!」と人としての道を違えるわけです

そこからいかに彼女が生還するか、という話だった気がします

ラスト、マティが復讐を果たすと

即座に銃の反動で暗い穴ぐらへ落ちて蛇に手を噛まれます

「蛇」はキリスト教でサタンを象徴しているから

「マティは復讐を果たしたために地獄に堕ちますよー」

っていう演出意図があったんじゃなかろうか

銃を撃った反動で穴ぐらへ落ちるというのもハッキリ因果を示しているように思います

加えて「壁を背に打てば〜」の台詞も活きてきますね

壁を背にせず、つまり、非合法な方法で復讐をした彼女は…っていう演出


で、そこからマティを救ったのはオグバーン

わざわざ蛇を撃ち殺してるあたり

オグバーンとマティの関係は擬似的な父と子&神と子の関係になっているんじゃなかろうか

と考えられます


だから、ラスト、オグバーンがマティを抱いて走る所が幻想的に描かれていたんです

ここは少女が復讐の果てに来る報いから逃げる所であると同時に

神的な父性からの加護を受ける神秘体験を描いているから幻想的になっているんじゃないでしょうか

だから、ラストの幻想的な絵も必然性があるように思いました

まあ、もちろん人を殺したわけだから失うべきラインのものは失われるのですが…


あと、映画で流れる賛美歌や、ポスター等にある「天罰なんか待ってられない」というアオリもそれを裏付けているような気がしてなりません。


これを踏まえると

「神も仏もいやしねえ…」的な映画だった「ノーカントリー」から

「いや、人の中に神がいるんだ!」的な映画である「トゥルーグリット」へ至った

フィルモグラフィー自体が感動的に感じられます


だから、カタルシスの面で食い足りない部分がいくらかありましたが

素晴らしい映画だと思いました

期待に違わぬナイスな映画で、劇場料金を払っても損はしないかと