ショコラ
不思議と男が画面に収まっているとホッとする映画で、自分がいかにこういう映画に耐性がないか思い知らされた。
村の伯爵側は間違っている側で、宗教や因習、過去の人への想いに囚われた人間として描かれ、主人公達は自由を尊ぶ正しい正義の側として描かれ、かなり分かりやすい構図で話が進む。
最終的に伯爵ら敵側も含めて全ての人間はチョコレート店を営む主人公達を受け入れて「相互理解って大事だぜ!」と話が終わる。
ちょっと待てと。
その新しいものを受け入れるとか相互理解とかいうテーマを体現するのは主人公側じゃなきゃいけないんじゃないのか。
思い返すとこの映画、伯爵側もそうだが主人公側も村の因習や宗教をハナから無視し、全く歩み寄る様子が見られない。
お話の都合上一ヶ月の断食など「こりゃねえだろ」と思わせる伯爵側の嫌な部分が描かれるが、最初から歩み寄る気がないのは伯爵側も主人公側も全く同じなのだ。
だから全体を見回すと「描写がフェアじゃない」という印象がどうしても拭えない。
こちらに否があったにせよ、自分達の生活規範を根底から否定する人間がズケズケとやってきたらどう思う?
見えてくるのは主人公側の「こちらが理があるのだからくだらない決まりごとは無視してオッケー」という思い上がりだ。
あと、酒場の店主の扱いはいくらなんでも酷すぎる。
相互理解を謳ってるくせにこいつは排除して誰も顧みないのね。
あのね、放火で人を殺めた事は大変な罪だよ。
だからってそいつの救いの道を閉ざしていいのか
妻に暴力振るったりするどうしようもない男だけど、彼は彼で更正しようとしたんじゃないのか?
この映画全体から「クズは氏ね」「根が腐ってる奴は救いようが無い」と言われている気がして
放火や暴力を振るったりはしないものの、野暮天の自分はかなり不快に感じられた
汚い奴を隅に追いやる排他的な幸せなら俺は要らないよ。
まあ音楽は良かったし、ジョニーデップはセクシーだったし(この頃から海賊だったんだね)トータルでそんなに悪い映画とは思わないが、最終的に不快な後味が残った映画だった。