あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。




主に最終回について。
号泣した!っていう方が多くて、その気持ちも少し分かるしグッと来たのも事実なんですが、俺はそれほどノレなかった。
その理由を自分なりに掘り下げてみる。
正直あまり整理できてないが、備忘のために。



テーマ的な部分について。
子供時代に戻れない主人公達と、死んでしまって成仏しなければならないが故に大人になる事を断念せざるを得ないめんまという名前の女の子。
この両者の歯軋りの音をもっと積極的に表現しなければ最終回では泣けないと思ってます。
強烈な後悔の念とそれを引き受けて生きていく諦観が前提となるから、未来へ向けて限られた選択肢の中で胸張って生きる姿が感動的になるんだけども、「あの花」はその前提部分が少し、いや、かなり弱い気がする。



キャラクターはそれぞれめんまが亡くなった事に関してトラウマを持っているのですが、それがどうにもアンバランス。
他のキャラが色恋沙汰のトラウマであるのに対し(ゆきあつというキャラが女装するようになったのがサッパリ意味が分からなくてそれもどうかと思ったんだけど…)ぽっぽというキャラの抱えるトラウマが最終話で明かされるのですが、それが「死にいくめんまを助けられず見ている事しかできなかった」っていうんですよ、明らかにアンバランスですよね?
このぽっぽは結構お話の進行用のキャラになっていて、作中の色恋沙汰には関与してないんですよ。
おそらくそれじゃあまりに仲間はずれすぎるっていう事でこのトラウマ設定があるんでしょうけど、明らかに他のキャラと同一のイベントで片付けるには重過ぎる…。
おまけに、その重さをちゃんと描いているかというとそうでもなくて、めんまが死ぬ所は見せないんですよね。
そこではぽっぽの表情だけが描かれる。




そもそも話の中心であるはずのめんまというキャラクターにイマイチ切迫したリアリティが感じられない。
もっとハッキリ言うと「子供らしい無邪気さ」に媚びが付随してきてる気がしていて気に入らない。
主人公の家に住んでいる時の描写も久しく会っていない死別した友人と暮らしている、というより何かペットを飼っているかのように見えるんですよね…。
内面に関してもめんまは最初っから「皆大好き!」という純粋無垢さのまま揺るがないので最終話もさほど盛り上がりませんでした。
めんまというキャラクターに関しては、作り手と受け手が信じたがってる未来への意思やヒューマニズムを押し付けられたキャラクターという印象が拭えませんでした。
タイトルが「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」で、「あの日見た花」というのは最終話でめんまが主人公達へ宛てた手紙(花の形に置かれていた)に書かれた友人達に対する好意、許しの事だと思うのですが、最初からめんまは皆大好きだし許すどころか問題にすらしなさそうなので主人公達にとってはともかく、僕にとっては「まだ知らない」モノとは写りませんでした。
分かりきってたよ、そんな事は。



「ベタを恐れないのが素晴らしい」という感想も多く目にするが、そこに関しては俺は違うと思ってる。
ベタである事への照れ隠しとして出てくる諸々が小ざかしくてしょうがないのだ。
例えばキャラクターのあだ名。子供が付けたあだ名なので「じんたん」「ゆきあつ」「つるこ」「ぽっぽ」はいいにしても、「めんま」と「あなる」、特に「あなる」は絶対ダメでしょ!
「いやいや、子供だからこういうあだ名をつける事も…」という話があるが、俺はこのあだ名から大人である作り手による外からの「面白いでしょエヒヒ」という寒々しさしか感じなかったし、結
構声優の熱演が光るアニメなのに「あなる」がどうとか言われると本気でさめるんですよ!
脚本の岡田さんが周囲の反対を押し切って入れたあだ名設定だそうですが、台無しだと思います。


個人的にはゆきあつというキャラがかつて好きだっためんまを忘れられず日常的にめんまの格好をする、というのも外部からの空々しい冷やかし目線を感じてかなり不快でした。
まずもって「ゆきあつはめんまの事が忘れられなくてめんまの格好をする」という理屈も納得できないし、そこは「いや、ゆきあつは変態だからね」で止められてまるで掘り下げられない。
そもそも女装が発覚するくだり自体にてこ入れ以外の意味を感じないしね。
作り手が「好きだった子の事を忘れられずにいる人間」に対する洞察をした形跡があまり見られなかった。

これらの照れ隠しやてこ入れはポン・ジュノエドガー・ライトコーエン兄弟等々の作品とは真逆だと思う。
照れが作品のエモーションを殺しちゃってませんか?


あと、ベタである事とわざとらしい事も違うと思う。
最終話の神社での演技合戦、唐突にかくれんぼが始まって主人公が号泣しながらめんまを探し「もういいかーい!」と叫ぶ。
ここは流れとしてはウマいのかもしれないけど、主人公が意識的に言い始めると「何かウマい事いってやろう」的なクサみを感じて白けてしまった。
とらドラ」でも「お前らみたいな単純バカに〜」とか「罪悪感は無くなった?」とかちょっとキャラのリアリティを度外視したカッコつきの「ウマい」台詞が散見されたのでそこが脚本の岡田麿里さんの長所であり、(少なくとも僕には)短所に見える所なのかもしれませんね。



ここまで書いておいて何だが、「あの花のここがダメだって言うのに同じ所があるこの作品は好きなのかよ!」と言われると正直何も言えない。
アニメ版「時をかける少女」が俺は大好きなんだけど、上記の事は当てはまらないじゃない。
この感想はあくまで自分が「あの花」に絶賛されてる程ノレなかった理由を掘り下げたものです。