劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ



ちょっとこれは僕的にはイマイチ。同じ入江監督の「サイタマノラッパー」シリーズと比べたら数段落ちる。このイマイチという感想が僕が思う「神聖かまってちゃん」というバンドの印象に一致するのが面白いあたり。自分が事前に持っていたバンドの印象を良くも悪くもひっくり返す事がなかったので、僕はこの映画をあまり評価しないが、バンドの像を忠実に描いているので誠実に作られた映画である事は疑わない。


それなりに悲惨であったり、それなりにくすぶっている日常や自分を(多分「それなりに」っていう所がポイントな気がする)歪みやある種の気持ち悪さを含めて鳴らす。それ自体はロックンロールだなあと思うし、こういうある種嘘のない音楽を切実に求める人が多い(俺も含めて)のも分かる。ただ、最終的にポップに落としこんでしまう所に僕は個人的にセンスや真っ直ぐさやよりも安易さや悪い意味での雑さを先立って感じてしまうし、「演奏下手じゃん」等の身も蓋もない部外者視点を盛り込むことで結果的にファンとバンドの関係が自閉する事を回避してるのが逆に嫌らしく見えたりしてしまっていた。だからさっき「嘘のない」って書いたけど「…ハイプじゃないよな…?大丈夫…?」という信頼できない感じが常時僕の中では付きまとっていた。


…というのが「友だちを殺してまで。」やライブ映像に触れた神聖かまってちゃんというバンドの印象。この印象が映画を全部観終わってもついぞひっくり返る事がなかったのは残念なあたり。シングルマザーのエピソードも棋士志望の女子高生のエピソード、そして、神聖かまってちゃんのエピソード、そのどれもが型どおりで切実な感情移入が生まれない。どのエピソードにもある種無神経な外の視点があって、それを盛り込む事自体は正しいし誠実だと思うのだけれど、同じ入江監督の「サイタマノラッパー」シリーズにもちょっと感じていたタッチが生々しいから逆に「そんな事言うかね?」と思える部分が多々あって、それが先述の「神聖かまってちゃん」のバンド像を重なると、申し訳ないが悪い意味での不快感が…。


シングルマザーのエピソードで5歳の子供が父親像を投影してか、ネットを介して神聖かまってちゃんに夢中になるんだけど、そこがこの映画で一番飲み込み辛かった。そういう嗜好を持った子がいないとは思わないけど何かなあ…。

あと、二階堂ふみ演じる女子高生のエピソードもちょっと整理がついてないのであれで良かったのかは分からないが、最後…勝っちゃって良かったのかなー?

あと、神聖かまってちゃんのマネージャーさんはちゃんと業界の偉い人に対して言葉を尽くすべきだよね。「なんか抵抗ある」じゃ納得しないよ!


トータルとしてそんなに悪い映画じゃないし、これを素直に受け取れない俺がヒネてるだけって可能性も否定しないけど、ハードルを上げすぎた分ちょっとイマイチに感じてしまった映画でした。