サウダーヂ



ようやく滑り込みで観ることができた「サウダーヂ」。
どうにも他人事とは思えない映画だった。

この映画の登場人物のようでなくても、何か底が抜けたような現実が怖くなって、いつかあったような、もしくはどこかにあるような気がする天国みたいな所をどうしようもなく求めてしまう性(作中で言う「サウダーヂ」)っておそらくは大なり小なり誰もが持ってるんじゃなかろうか。
(これが「〜だったらいいなあ」ではなく「〜だったはず…」「〜であるべき」だから、余計に手に負えなくて哀しいというか何というか…)

この忘れ難さを支えているのが作り手の足腰の強さ。
作中には色々な人物が出てくるがそれぞれに、丁寧に、適切な距離を冷静に保って、しかし確かに共感を持って描かれている。
彼らにキッチリ命を吹き込んで、おそらく現実にいたら自分とはすれ違っているであろう彼らと自分を映画通じて向き合わせた、ここがまず素晴らしい。
(普通だったら知ることのできなかった人の人生を知ることができる、っていうのは映画の持つ素晴らしさの一つだと思う)

これだけ登場人物に説得力を持たせているからこそ、彼らが作中ですれ違う様がきつい痛みを伴って伝わってくる。
俺は終盤におけるシャッター商店街の寒々しさやラストカットのある人物の笑顔に戦慄したし、多分生涯忘れる事はないだろう。


この映画を観ると「じゃあ、どうすればいいんだ…」という問いが首をもたげて、それに対する答えははっきりとは出せないのだけれど、今ならば哀しい自己完結を自覚しそこから脱却する事ができるような気がする。
だって、俺はあの映画であの悲劇の一部始終を「目撃」したのだから。
多くの人々(映画を観ている自分含む)が孤立して自己完結してしまっているという哀しい、しかし、本当の事を豊かな実感を持って描き出した「サウダーヂ」。
救いの無い映画のようにも見えるが、個々人が自己完結している事を自覚させ、「実は皆そうなのかもしれない」という想像力を提示してみせている映画だ。
この作品に出会えて本当に良かったと思う。
この映画を観てハッとできただけまだまだ希望はあるはずだし、世の中も捨てたもんじゃないはずだ。