ロボジー

※劇場で笑いは起こっていたので多分もっと良い映画なんだと思います
※以下、僕の感想は「ぼくのかんがえた『ロボジー』」じゃないやい!」という身勝手なものかもしれません
吉高由里子濱田岳は好きな俳優なので僕自身この映画は憎からず思っています



どうなんだろう、これは自分の勝手な思い込みじゃないと思うんだけど…
「ロボット博」と「ヒーローショー」って似て非なるものじゃないか?
ヒーローショーは(と、いうかフィクションは)その存在が嘘でもそれから受けたエモーションは本物だからそこに価値があるものであって、ロボット博におけるロボットは存在そのものが未来への可能性であり希望なのだから存在そのものが嘘じゃいけない、台無しなものである。
そもそも感動の経路が違うもので…それを重ねて描くのを観ると題材に対して理解と愛があるのか、どうしても疑ってしまう。


一旦、疑いの目で見てしまうと止まらないわけですよ。
まず、僕の好きな吉高由里子演じる葉子というキャラクター。
描き方が雑に感じました。ロボットオタクに全然っ見えない。
初登場時の瞬間にロボット全般が好きなように見えなきゃいけないと思うんだけど、掴みで失敗してる。
あと、おじいちゃんが入ったロボット「ニュー潮風」に危ない所を助けられて、ニュー潮風に惚れるっていうくだりがあるんだけど…ここも葉子はニュー潮風の技術でなくて、人格に惚れているように見える。
ここを伏線として使うシーンがあるから間違いないはず。
それはそれで良いけど、彼女のロボットオタクっぷりが金を出そうとニュー潮風を付回そうと一種チャラけたものに見えてしまうっていうのは否めない。
描写が半端だから逆に彼女がウザいっていう人が出てもしょうがないと思う。
もっと極端にロボットオタクとして描いた方が後に潮風に失望する展開での彼女の行動にも説得力が出るし、その極端さがチャームになるはず。
吉高由里子はこういう役上手いはずなんだから、ちゃんと彼女に活躍の場を与えてあげて!(心の叫び)


脇のキャラクターの描写が中途半端でそれが作品の薄味な感じに繋がってるんじゃないかなあ…


ニュー潮風を「開発した」メーカの社員3人なんかもそうで、描き方が彼らに同情的なものだから、無駄に彼らを心配してしまって笑える所も笑い辛かった(それでも笑った部分はいくらかあるけど)。
もっとハジけた感じにアホだったりクズだったりに描けば彼らが困って右往左往するところをもっと素直に笑えたと思う。



一番文句言いたいのがオチ。
ネタバレになるから詳しくは言わないけど…あれはナシじゃね?
細かく言及するとネタバレになっちゃうから「ぼくがかんがえた理想の『ロボジー』」の結末を書きます。

記者会見場におじいちゃん乱入、自分がニュー潮風の中に入っていた事をバラす。

濱田岳が「な、なにを言ってるんですか!ここにニュー潮風はありますよ!」とロボットを出す!実は彼らは大学生達の知恵も得て、密かに頑張って「本物」のニュー潮風を作ろうとしていた!ここに至るまでに彼らの改心の描写を入れてもいいだろう!

…もちろん、付け焼刃の努力がそんな簡単に実るわけもなく、ほんの数秒だけ踊った後窓から落ちて壊れる!

ニュー潮風がヤラセだった事が発覚し、社員達はクビに!

しかし、誤魔化すために作っていたとはいえ、彼らの中にロボットへの情熱が芽生え、元社員達はアマチュアながらロボットを作ろうと何らかのアクションを起こす!

それだけではない!
記者会見はテレビで全国放映されていて(テレビ局出資してるだろうからテレビをイイモノとして使える!)
実際は素人の社員達が彼らなりに作ったニュー潮風のほんの数秒の、しかし確かにあった踊りは大学生にも!子供にも!そして何よりニュー潮風に入っていたおじいちゃんにも「本物」を目指す意志と勇気を与えた!
「素人の彼らでもニュー潮風を動かせたんだ、だったら俺だって!」という具合に!

そしてラストはムキムキにビルドアップしたおじいちゃんがヒーローショーの主役を務めている…!笑顔!エンドクレジット!

うん、まあ考えると「クビになるのは可哀相、そもそも悪いのは会長じゃん」とか突っ込み所はあるけど、少なくとも俺の中ではこっちの方が泣ける。
少なくともロボットを作るの事の本質である「本物を作ろうとする美徳」や「ロボット愛」へ向かわなければそれはこの話の結末じゃないと思います。
もし、「ロボジー」にノレなかった人はこの妄想使っていいよ!


良い所は多い映画でギャグはやっぱりいくつか笑えたし、ニュー潮風の造形はアニメ的に秀逸だし、おじいちゃんがニュー潮風の格好をして孫と…というシーンや大学での講演のシーンには笑いながらも胸打たれた。あと吉高由里子も出てるから
個人的にプラス部分
悪い映画じゃないとは思います。
むしろこの映画と視点が一致するなら普通に良い映画なんじゃないかと思います。


ただ、やっぱり「フィクション」と「ロボット」を、もっと言うなら「フィクション」と「やらせ」を混同しているような態度が不快といえば不快。
少なくとも作り手はロボットが好きで、そしてロボットを作る人達に敬愛の念を持っていて、どうしてもこの題材で撮りたかった、っていう風には見えないんだよな。
良くも悪くもフラットな人が撮った映画だと思う。


人情話として観るならそれなりに良いんじゃないかとも思うけど、だったら、半端に題材に触れるんじゃねえよ、とも思うし…でも吉高由里子出てるし…悩ましい!悩ましい映画でした!