ヒューゴの不思議な発明

・これはぼくの個人的なものだけど、普段メガネをかけないものだから3D映像に慣れるまでは時間がかかった。3Dって映像の「手前」の方に意識を置くと気持ち悪くなってくる。

・しかしながら、3Dで観る意味はかなり大きい映画だと思う。全編に渡って3D演出は張り巡らされている。正直ちょっと疲れてしまった部分もあるがフレッシュだった。

・映画というジャンルの黎明期のお話を最新鋭の技術を駆使して語り、現在の我々観客に届ける。それにより先人へのリスペクト、映画への愛を示し、新たなモノを映画に持ち込もう!…というのが作り手の志、意図なのは伝わった。本当に映画を愛しているのがよく分かる。

・しかし、残念ながら観終わってもぼくの心にはこの映画は大して残っていない。この映画が作品の枠を超えてぼくにエモーションを叩きつけて来る事はついぞ無かった。

・だから、ぼくの目には大した映画だとは思えなかったし、これが「映画への愛が…」と誉めそやされているのは空疎なものに見えてしまう(すみません)。
ぼくが映画に求める熱や刺激や毒はファミリー映画である事を差し引いても本作にはほとんど入っていなかったように見えたからだ。

・映画を愛してる事は伝わって来る、と書いたが、そこに映画に囚われたもの恥ずかしさ、痛々しさ、しかし、それでも映画に殉じる凄み等は伝わって来ない。
綺麗事の域を出ないで愛を語る映画なんて観客の自意識を慰撫するだけですよ。
嫌らしいったらないね(重ねてすみません)。

サシャ・バロン・コーエンの役の顛末といい、話の大枠といい、スコセッシも救われるべき人が救われるだけの話を撮るようになっちゃったか…と見えて、少し寂しかった。
僕にとってスコセッシが過去に撮った「人が孤独や軋轢に打ちのめされながら生きる映画」は最良の友人だったんだが…。
上記みたいな事を「ヒューゴ」に求めるのはやっぱり筋違いな気はするんだけど、スコセッシにはどうしてもそれを期待してしまうし、それこそが映画の一つのあるべき姿だと思うのです。