ひゃくはち

それぞれの役者がかもし出す実在感や作品のそこかしこに観られる高校野球に対する批評性があって、評判も納得の大変面白い良心的な青春映画だと思う。

主人公の少年達の持っている「レギュラーは諦めているがベンチには入りたい」という目標を聖なるものとせず、欲望やエゴ込みで感情移入させようという姿勢。
これは本作の監督さんが作る「宇宙兄弟」の原作を面白く読みつつちょっと食い足りなく感じた部分なので、ここを補完してくれるかも、という意味で実写版「宇宙兄弟」にも期待が持てる部分だった。

ただ、映画の出来とは別の個人的な興味の行き所として、映画の出来にケチをつけるわけではないが決して小さくない不満があったのも確か。

いくら規則違反とはいえ、ケータイを取り上げてへし折ったり、節制を求めるくせに練習の場でタバコ吸ったりキャバクラで飲んだくれたりする監督etc…。
主人公の少年達を取り巻く環境を批評性を交えて描くのは凄く良いと思ったのだけれど、それが最後まで徹底されず、最後での「キレイな青春映画」のためのエクスキューズ、ワンクッションとしてしか機能しなかったのが残念。

いや、これを残念と受け取る奴は俺以外にそんなにいないだろうし、実際効果的に機能している。
それに作り手に作中の大人達に対する大マジでの悪意はない、というのも分かる。
そもそも主人公たちを取り巻く環境の清濁は、何も彼らに限らず誰の周りにも転がっているもので、そこに文句を垂れるよりも、とりあえずは少年達の小さなドラマを描く事にこそ注力しようという姿勢は圧倒的に正しい。


そういった事を重々承知でもやっぱりラストの苦味の少なさには違和感を感じずにはいられない。
批評性が徹底されないためにむしろ息苦しさや閉じた印象が残るし、「小さくたいそれた事じゃないかもしれないが…」っていう前置き込みでの受け取り方もまた作中やんわりディスっていた一面的な理解なんじゃないのか?

高校時代、某体育会系の部活でほとんどリンチみたいなしごきを受けている同級生の姿を横目で見てた身としてはこの違和感は決して小さくないものだ。

上記の違和感は今年見たAKBのドキュメンタリーにも感じた。
あのドキュメンタリーは抗い難い魅力があるのも確かだが、フィクションでない分本作とは比べ物にならない程の怒りも同時に感じた。
半端な批評性や悪意が、その対象の価値観内部にいる人間を慰撫しているじゃないか!という違和感。

…いや、文句がうるさくなったけど、本作「ひゃくはち」はまっとうに良い映画だし実際過呼吸になってブッ倒れたりするAKBメンバーも出てこない分上記の違和感もまだ自分の考えすぎとして処理する事もできます。

実写版「宇宙兄弟」が期待できるかも…と思わせるには十分過ぎる良作。