『脳男』

残念。
『感情がなく超人的な知能と能力を持つ殺人マシン』という設定はリアリズム演出で説得力を持たせるにはどう考えたって限界がある。
だから、この話において重要なのはキャラクターを立てる"ハッタリ"をどれだけ質的にも量的にもかます事ができるかにかかっているのだけれども、ここがあまり上手く行っていない。この映画最大の欠点だと思う。
その点、一部でリアリズム的におかしいと批判される生田斗真演じる脳男が瞬きをしなかったりする佇まいは、生きてるのに生きていない感じを出してて中々よかった。
こういった脳男の「常人と違う」感と「並外れた能力」をもっともっと高い密度で強調して押し出して初めて本作で描こうとしてるテーマも重みを伴ってくるんじゃないだろうか。

キャラが立ってないのは二階堂ふみ演じる爆弾魔も同様で、他の映画でよく見るタイプの狂人キャラなのに描写が少なくこっちが彼女を恐れたりするには至らない。
よってラストに哀れみも何も感じられない。

作品全体の視点が松雪泰子演じる精神科医に寄りすぎているのも良くない。
鬱病を患っている母親の描き方は中々キツくてよかったが、それにしてもウザいキャラだった。
ぼくは頭のおかしい人達の常識の枠を超えた頭のおかしい争いが観たいのだから、それに向かって常人の視点から説教を吐くキャラなどウザく感じるに決まっている。

後は言わずもがなの事をいちいち台詞で言ったり、いちいち台詞で説教してシーンが弛緩したり、所によってはコントっぽく見えたりもした。役者でなく演出のせいだと思います。
尺も伸びるし、単純に興もそがれるから台詞は最小限にして欲しいものです。

最近自分の中で映画に対するハードルが上がりすぎているのかもしれないが、これを「惜しい」と評するのは、その域にも全く達していないと感じるため気が咎める。
ダークナイト」や「アジョシ」を日本でやるにしても、これが今の日本映画の限界…、と考えるのは一観客として悲しすぎるんだ。