『ゼロ・ダーク・サーティ』

抑制を効いた演出や構成、お話上の目的を果たしてもストレートにはスッキリさせてくれない、長尺、その他諸々の要素により作り手のおそらくは意図通りにゲッソリさせられた。
要所要所に爆発や銃撃を挟む事で、お話の緊張感を損なわず、当事者の気持ちに入り込まされ退屈はしない。

おそらくは一本のしんどくて重たいモノを残すサスペンス映画として一級品なのだろうが、ぼく個人は必要以上にこの映画に構えてしまい十全に楽しむ事が出来なかった。
確かにストレートなカタルシスからは距離を置いて、徹底的にドライに描いているのだが、その一方で『親しくなった同僚を殺されて復讐に燃える主人公』『自分のやり方を上司に反目してでも貫き通す主人公』等の娯楽的な部分はキッチリ抑えており、クライマックスとしてビン・ラディン殺害シーンになっている。あと宣伝はあくまで『事実』押し。
もちろん、随所随所で安易な方向へ傾かないようバランスはとっているのだけれども、どうしても眉にツバをつけて観ずにはいられなかった。陰謀論などを言いたいわけではないが、この作品のもっともらしさは観客である自分を何にノセるためのものなのだろう?と。

どうしたもんかな、と色々考えていた所、『ビン・ラディンの顔は徹底的に見せていないのだから、実はクライマックスの作戦が完全には成功していなかったのでは?少なくとも作り手はそう観る余地をとっている!そうなるとラストにおける主人公の涙の意味合いも色々変わってくるぞ!』との解釈を思いつき、途端に面白くなってきたのだが、これは多分深読みに過ぎないだろう。

呑み込みきれないモノを無理に呑み込ませて重たくて気持ち悪い気分にさせてくる映画全般が嫌いなわけじゃないし、本作の技術的な出来が悪いとは決して思わないのだが、あまり自分に合う映画ではなかった。
『俺が拾いきれなかったのかもしれない…』という留保付きの評価になります。