『ゼロ・ダーク・サーティ』

抑制を効いた演出や構成、お話上の目的を果たしてもストレートにはスッキリさせてくれない、長尺、その他諸々の要素により作り手のおそらくは意図通りにゲッソリさせられた。
要所要所に爆発や銃撃を挟む事で、お話の緊張感を損なわず、当事者の気持ちに入り込まされ退屈はしない。

おそらくは一本のしんどくて重たいモノを残すサスペンス映画として一級品なのだろうが、ぼく個人は必要以上にこの映画に構えてしまい十全に楽しむ事が出来なかった。
確かにストレートなカタルシスからは距離を置いて、徹底的にドライに描いているのだが、その一方で『親しくなった同僚を殺されて復讐に燃える主人公』『自分のやり方を上司に反目してでも貫き通す主人公』等の娯楽的な部分はキッチリ抑えており、クライマックスとしてビン・ラディン殺害シーンになっている。あと宣伝はあくまで『事実』押し。
もちろん、随所随所で安易な方向へ傾かないようバランスはとっているのだけれども、どうしても眉にツバをつけて観ずにはいられなかった。陰謀論などを言いたいわけではないが、この作品のもっともらしさは観客である自分を何にノセるためのものなのだろう?と。

どうしたもんかな、と色々考えていた所、『ビン・ラディンの顔は徹底的に見せていないのだから、実はクライマックスの作戦が完全には成功していなかったのでは?少なくとも作り手はそう観る余地をとっている!そうなるとラストにおける主人公の涙の意味合いも色々変わってくるぞ!』との解釈を思いつき、途端に面白くなってきたのだが、これは多分深読みに過ぎないだろう。

呑み込みきれないモノを無理に呑み込ませて重たくて気持ち悪い気分にさせてくる映画全般が嫌いなわけじゃないし、本作の技術的な出来が悪いとは決して思わないのだが、あまり自分に合う映画ではなかった。
『俺が拾いきれなかったのかもしれない…』という留保付きの評価になります。

『ムーンライズ・キングダム』

偏執的に徹底された平面的な画作りや、これまた徹底的にコントロールされた色の使い方は監督の並々ならぬこだわりや美意識を感じさせる。
極端に律儀な画面が作品のリアリティラインを分かりやすく伝え、色彩の演出がそのままストーリーテリングに寄り添っている。これは良い。
この一点に置いて観てよかったな、とさえ思う。

浅はかなスタイルや"なんちゃって"で撮られたものは受け手の神経を逆撫でし、「あざとい」と感じさせてしまう。
そこのラインを余裕で超えてくるあたりやはり大したものだなと思う。

子どもが駆け落ちするという話でそこ周りのシーンでは中々可愛らしい、ステキだな、と思えるシーンも多い。

ただ、一方で居心地が悪く、混乱や疲労を誘う映画であったというのが正直な感想。
作りこまれた画面やテンポの良さはことごとくキャラクターへの思い入れの入口を塞いでしまっているように見えたし、終盤はキャラクターの行動やその他諸々に混乱が目立ってきて、いよいよ作品に対してネガティブな感情の方が優って来る。
中でもはっきりおかしいと感じたのは、主人公のサムを嫌っていた少年達がサムを助けようと決起する場面。例えばサム達が駆け落ちの後捕まった時に同情して反省しているような描写を強調しておけば良かったのだと思うけどそういった描写は見られず"展開のための展開"のようにしか見えなかった。
最後の嵐の場面はブッ飛んでて面白いという部分はあるし、ここまでくると自分が何かを見落としているのかもしれない気もするのだが、位置関係や距離感等々何が何だか分からなかった。

時おり挟み込まれるブラックな要素はちょっとやり過ぎじゃないか、とも思うが、『こうとしかあり得なかった』という凄みも感じなくもない。
ただ、これを受け止めるには自分はウェス・アンダーソン監督について無知過ぎるようだ。

本作に関しては『画面はキュートで美しいが、お話は散漫』という評価を現状するしかないが、『じゃあお話がちゃんとしてたらどうだろう…?』とウェス監督の作品に興味を持つ入口にはなったかな。

『脳男』

残念。
『感情がなく超人的な知能と能力を持つ殺人マシン』という設定はリアリズム演出で説得力を持たせるにはどう考えたって限界がある。
だから、この話において重要なのはキャラクターを立てる"ハッタリ"をどれだけ質的にも量的にもかます事ができるかにかかっているのだけれども、ここがあまり上手く行っていない。この映画最大の欠点だと思う。
その点、一部でリアリズム的におかしいと批判される生田斗真演じる脳男が瞬きをしなかったりする佇まいは、生きてるのに生きていない感じを出してて中々よかった。
こういった脳男の「常人と違う」感と「並外れた能力」をもっともっと高い密度で強調して押し出して初めて本作で描こうとしてるテーマも重みを伴ってくるんじゃないだろうか。

キャラが立ってないのは二階堂ふみ演じる爆弾魔も同様で、他の映画でよく見るタイプの狂人キャラなのに描写が少なくこっちが彼女を恐れたりするには至らない。
よってラストに哀れみも何も感じられない。

作品全体の視点が松雪泰子演じる精神科医に寄りすぎているのも良くない。
鬱病を患っている母親の描き方は中々キツくてよかったが、それにしてもウザいキャラだった。
ぼくは頭のおかしい人達の常識の枠を超えた頭のおかしい争いが観たいのだから、それに向かって常人の視点から説教を吐くキャラなどウザく感じるに決まっている。

後は言わずもがなの事をいちいち台詞で言ったり、いちいち台詞で説教してシーンが弛緩したり、所によってはコントっぽく見えたりもした。役者でなく演出のせいだと思います。
尺も伸びるし、単純に興もそがれるから台詞は最小限にして欲しいものです。

最近自分の中で映画に対するハードルが上がりすぎているのかもしれないが、これを「惜しい」と評するのは、その域にも全く達していないと感じるため気が咎める。
ダークナイト」や「アジョシ」を日本でやるにしても、これが今の日本映画の限界…、と考えるのは一観客として悲しすぎるんだ。

『プロメテウス』

多分「お話はどうしようもないがビジュアルの面では観るべき所の多い映画」というのが世間の評判な気がするのだけれども、僕も同感。

特にファスベンダーが地球儀に触れるシーンなんかは素晴らしく劇場で見れたらもっと贔屓したくなるものだった。地球儀に触れるのが人間でなくアンドロイドである、って所に詩情があって素敵だと思う。

あとは下世話な見世物要素も楽しく、堕胎手術のシーンなんかは本当に笑ってしまった。
こういうのを見るとTVで見た『グラディエーター』から受けた感銘は嘘じゃなかったんだな、と心底思える。

お話は世評通り雑な所が多いのだけれども、テンポ自体は悪くないので苦痛という程ではなかった。
ただ、この雑さは見る人にとっては致命的だろうな。
僕としては『ダークシャドウ』同様こういう感じの適度に雑で、かつ光る所のある作品がTVで半年に一回ぐらいは観たいんだ。

『アタック・ザ・ブロック』

思ってた以上に社会派なテイストが強く、コメディ色は薄め。
麻薬の売人やってる大人が主人公に『売ってこい』とお薬を渡す場面にややエモーショナルを込めて描かれてるように見える所やラストでの国旗につかまる主人公の姿に作り手の意識の置き所が見て取れる。

子供と思っていたエイリアンが実は…といったくだりや、全体に敷き詰められたさりげなくも効果的な伏線がビシビシと心地よく回収されていくのは非常に刺激的で楽しい。

『これだけの問題なのにパンピーは誰一人として気付きもしない』という寓意があるにしても、ゴリラ宇宙人の大暴れに誰も気付いてない、というのはいささか不自然な気がしたりもしたが、基本的には中々楽しめた作品だった。ベースメントジャックスの音楽も良い。

『百万円と苦虫女』

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この映画、全体を通してリアリティというものはさほどありません。
蒼井優蒼井優であるが故にどこ行ってもさしたる理由もなくモテまくる。
あと、100万円バイトで貯めて住む土地を転々としている設定でそれを少なくとも3回は繰り返しているのに、時間的には半年ぐらいしか経っていないように見える。
着てる服も夏物っぽいし…撮影期間が十全に確保できなかったんだろうか。

人の描き方のリアリティも乏しく感じられた。
特にマイナスがデカいのは序盤、実家の街におけるクズのオンパレードっぷり。
ルームシェアに勝手に彼氏呼び込むクズ、勝手に同居人が拾った仔猫を捨てて死に至らしめるクズ、『で、ヤったの?』と無神経に聞くクズ、自分の都合だけまくしたてて傷心の主人公を一切気遣わないクズ、『あんた前科者でしょ?』とほざくクズ…。
蒼井優演じる主人公がその人間観の外側にいるような感じ含め、描き方がどぎつ過ぎます。
それぞれの行動に全く理由がないとは思わないが、お話やテーマ上の要請を大きく超えて不愉快過ぎる奴らばかりが出てきて正直最後まで観るのが躊躇われるくらいに辛かった。
これは途中で蒼井優がキレて全員皆殺しにしてカタルシスにしないとバランス取れないレベルな気がするよ(映画の中ではキレて豆腐投げたけど)。
特に主人公の弟に関しては酷い事言った後から『この子はいじめられていますよ』とフォローを入れても焼け石に水だし、重要なキャラなのだから何とかならなかったのかな、と思った。

登場人物の不快度はお話が進むにつれ抑え目になっていく。山村のエピソードも中々不快だが、彼らの視野狭窄っぷり、それ故の愚かしさや不快さにはそれなりのリアリティも感じた。

最後の地方都市でのエピソードでは、森山未來の行動の真意に関して「不器用な性格にしてもそんな回りくどい事するだろうか…」という印象は拭えなかったが、凄く良い演出は多かった。
付き合っている彼氏の心が自分から離れているんじゃないか、という不安感の演出は細心になされていて、凄く面白い。この映画の一番面白い所だと思う。

もっとも、この少女漫画的な面白さが、あまり本作の特殊な設定と絡み合ってない気がするし、甘いも苦いも含めて歯を食いしばって留まり生きる小さな克己を弟の手紙から学んだろうに結局次の街へ行くのか…等不満な点もまだあるが、ここの面白さがあるだけで本作は全く嫌いではない。
どちらかというと好きな映画。

『パーマネント野ばら』(ネタバレ注意)

パーマネント野ばら [DVD]

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パッケージや予告から受ける印象と違って結構ネタバレしてはいけない系統の作品なのでネタバレ注意です。一応、納得はするんだけど、ビックリしたよ!

吉田大八監督の『桐島、部活辞めるってよ』が作品の完成度程にはピンと来なかったので、その理由を探るのも兼ねて鑑賞。

観るべき所は多い映画だと思う。
クライマックスの電話ボックスのシーンなんかは作品全体を貫く世界観やメッセージが言葉でなく伝わるようになっていたし、終盤である真相に主人公なおこが気付くシーンに『電柱を切り倒すおじさん』の姿を重ねるのは鮮烈で良いなと分かった。

メイン所の菅野美穂小池栄子池脇千鶴の3人も良かった。菅野美穂は僕が好きである事を抜きにしても中々の好演だったと思う。

『桐島』との共通点も興味深い。とらわれた価値観や幻想の内側と外側、っていうのが吉田監督の興味の置き所なんだろうな。外側の存在が認識される所をクライマックスに置くのも、登場人物が内側に留まるか、外側へ踏み出すかの分かれ道に立った所で切るというエンディングも『桐島』と似てて面白かった。

しかしながら、全く瑕疵の無い作品だとも思わない。
メイン所の女優はそれぞれ魅力的なのだが、子役の演技になるとやや弛緩した印象が否めないし、特に前半はなおこが作品世界の躁っぷりから一歩引いて受身なキャラクターである事(これは終盤ひっくり返されるのだけれど…)も相まって退屈。
小池栄子池脇千鶴周りのエピソードも新鮮味は薄く状況の説明に留まっているような…。
加えて、これは原作の漫画から引っ張ってきたもので、そうせざるを得なかったのかもしれないが、パーマ屋のオバちゃん達の描き方がいかにも漫画チックで少しあざとさも感じた。

ここはより個人的な不満で『もしかしたら『桐島』に感じた根本的な不満はここなのかも…』とも思った部分なのだけれども、幻想に溺れざるを得ない人間の性や業をテーマに据えているにも関わらず、そこに生々しさがあまり感じられない。
なおこの付き合っているカシマという男の真相にしても、既に死んでいるという事とラスト前にある登場人物の言う『忘れてしまったら、本当にその人死んでしまう』といった類の台詞でなおこのカシマに対する思い、いや、欲の所在があいまいに脱臭されているような…。

おそらくは『桐島』にも同様の不満を無意識に感じていたのだと思う。学校内の狂った価値観に閉塞せざるを得ない切迫も、そこから抜け出る情熱というものも、状況以前の根の部分で深められていないから、『うおお、よく出来ていますなあ』と感心する事はあっても、心の底から感動するには至らなかったのだと思う、多分…。(一回しか見てないので…)

とはいえ、本作『パーマネント野ばら』を見て吉田監督はハッキリ腕はある人だと分かった。自分としてはもしかしたら苦手な方の作家なのかもしれないがつまらない映画は撮っていなさそうなので、せっかくだから『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『クヒオ大佐』も見てみようかな。